④お城の豆知識と書籍

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                                                                                                       初 め に          

お城をより身近に感じて頂ける様に簡単にまとめてみました。戦国ストーリーを出来るだけ絡めて

分かりやすくしたつもりです。お楽しみ下さい。
 
表示順序(下記ページ)は「築城年代順」です。
 
01.
岐阜城    02.清洲城    03.江戸城    04.郡上八幡城    05.墨俣城  

06.岡山城    07.長浜城    08.越前大野城 09.丸岡城       10.安土城  

11.浜松城    12.掛川城    13.富山城    14.大坂城       15.和歌山城

16.岸和田城   17.金沢城    18.広島城    19.高松城       20.松本城

21.会津若松城 22.岡崎城    23.伏見城    24.山形城       25.犬山城

26.大垣城    27.熊本城    28.姫路城    29.高知城       30.仙台城

31.福岡城    32.小倉城    33.駿府城    34.松江城       35.唐津城

36.岩国城    37.名古屋城   38.弘前城    39.伊賀上野      40.福山城

41.上田城    42.彦根城    43.島原城    44.赤穂城        45.小田原城  

-参考文献-(順不同)
①日本の名城・・・(河出書房新社) 
②日本の名城・古城事典・・・(ティビーエス・ブリタニカ) 
③日本の名城の旅、東日本編/西日本編・・・(ゼンリン) 
④歴史群像名城シリーズ・・・(学習研究社) 
⑤江戸城と将軍の暮らし・・・(学習研究社) 
⑥日本史総合図録・・・(山川出版社) 

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  1.岐阜城

「所在地」岐阜県岐阜市金華山   [築城時期]建仁元年(1201)
[築城者]二階堂行政         [主な城主]斉藤道三、織田信長 
 

[お城にまつわる物語など]
東海道本線、岐阜駅から北へ約3.5キロ。長良川のほとり金華山の山頂、鎌倉時代に創築。美濃土岐の守護代などが居城、その後、土岐の重臣となった斉藤道三が城主となり改築。、同盟した織田信長が道三の死後、永禄8年末裔を攻めて入城、その地区を岐阜と改名し本拠地に「天下布武」を告げる。そして安土城も築城した信長は本能寺の変で明智光秀に倒される。城は信長の嫡男らが継いだが関が原の戦いで攻められ廃城となった。昭和31年に復興、山上までロープウェイがあり、長良川の鵜飼など情緒ある観光地となる。
[
問い合わせ]岐阜市観光協会:058-263-7291

 

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   2.清洲城

「所在地」愛知県西春日井郡清洲町  [築城時期]弘治元年(1555)
[築城者]織田信長             [主な城主]織田信長 
 

[お城にまつわる物語など]
東海道本線、清洲駅より徒歩15分。
斉藤道三の娘、帰蝶を妻にして勢力を伸ばしていた信長はここが拠点であった。道三の死後、尾張から美濃を攻め岐阜城(稲葉山城)へ、そして、安土城を築城、天正10年の本能寺の変で明智光秀に倒され城主も次男がついた。

豊臣秀吉の天下となり城の改築がされて城下町としても発展したが、慶長15年、名古屋城が築かれて城と共に城下町までもが移動した。

それが世に言う〝清洲越し〟です。

 
[問い合わせ]清洲城管理事務所:052-409-7330

 

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   3.江戸城

「所在地」東京都千代田区       [築城時期]長禄元年(1457)
[築城者]太田道灌、徳川家康     [主な城主]徳川氏 
     

[お城にまつわる物語など]
東京都心に城跡。現在は天皇住居、公式行事の御殿、宮内庁関係の建物がある。外郭、本丸、二の丸、三の丸、北の丸が公開され無料で入場できる。

江戸城は道灌によって築城されたが、主君に謀反したとされ謀殺された。その後、小田原を拠点に勢力を伸ばした北条氏の城となったが、豊臣秀吉の小田原討伐で滅び、関東大守の徳川家康が江戸城を本拠にした。

関ヶ原の戦い後、江戸城は家康の大事業増築により約40倍に拡張、家康は天下人となり200年余り江戸時代は続いたが、江戸城は三代将軍家光の時代に明暦の大火で焼失、城より城下の復興が優先されて現在に至っている。


[
問い合わせ]千代田区商工振興課:03-3264-0151

 

 

   4. 郡上八幡城

「所在地」岐阜県郡上郡八幡町  [築城時期]永禄2年(1559)
[築城者]遠藤盛数          [主な城主]遠藤慶隆   
  

[お城にまつわる物語など]
長良川鉄道(美濃太田~北濃)の郡上八幡駅、北東へ約2キロ城山公園へ。
鎌倉時代に築城者の遠藤盛数が八幡山山頂に城を築く。二代目の慶隆は岐阜城主の織田家に通じていたため豊臣秀吉から城主を外されたが、慶長5年、関が原の戦いで徳川軍についたことから再び八幡城主となった。
城は明治初年に破却され、現在あるのは昭和8年に建てられた模擬天守で、ある。現在の郡上八幡町は江戸時代の城下の面影を残し、その時代から伝えられる盆踊り〝郡上踊り〟は徹夜踊りとも言い全国に知られています。

[
問い合わせ]郡上八幡観光協会:0575-67-0002

 

 

   5. 墨俣城

「所在地」岐阜県安八郡墨俣    [築城時期]永禄9(1566)
[築城者]木下藤吉朗        [主な城主]木下藤吉朗


[お城にまつわる物語など]
東海道本線の大垣駅からバス墨俣行きで終点駅、徒歩10分。
織田信長が美濃攻めを考えた時、美濃国内に基地を築くことを思い立ち、長良川の墨俣の地を選んだ。墨俣の利は悪くしかも敵地、資材運搬など難工事だった。佐久間氏や柴田氏が築城に失敗、藤吉朗が買って出る。

蜂須賀小六らを手下にして上流から資材を筏(いかだ)に組んで運搬、あっという間に築きあげた。世に言う一夜城である。

現在、城は流されて城跡には一夜城跡の碑が建っており、その公園内には城型の資料館(模擬城)が建っています。


[
問い合わせ]墨俣市役所観光課:0584-62-3111

 

 

   6.岡山城

「所在地」岡山県岡山市丸の内 [築城時期]天正元年(1573
[築城者]宇喜多直家       [主な城主]宇喜多直家、池田氏


[お城にまつわる物語など]
山陽新幹線、山陽本線の岡山駅から東に約1.5キロ。
備前の豪族・宇喜多直家が築いて、死後、子の秀家が継ぎ、豊臣秀吉の信任をうけて城の大拡張を行った。関が原の戦いで西軍に属したため領地を没収され、小早川秀秋が城主となるが2年在城し急死、その後は池田忠継らが入城し明治維新に至った。
姫路城の白鷺城とは対照的に全体的に黒作りの岡山城は鳥城と称される。また、城の対岸にある後楽園は、水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに日本三名園として有名です。
[
問い合わせ]管理事務所:086-225-2096

 

 

   7.長浜城

「所在地」滋賀県長浜市公園町 [築城時期]天正3年(1575)
[築城者]羽柴秀吉        [主な城主]羽柴秀吉


[お城にまつわる物語など]
北陸本線、長浜駅から約徒歩5分。
琵琶湖畔の秀吉の城。近江の浅井長政が織田信長に滅ぼされ秀吉が入った。秀吉は今浜に新しく城を築き地名を長浜と改めた。本能寺の変の後、秀吉は大阪に移り、その後の長浜城には柴田勝豊、山内一豊らが入り、江戸時代の一国一城令により廃城となった。現在は、昭和57年に復興された城と秀吉の像が立っています。


[
問い合わせ]長浜歴史博物館:0749-63-4611

 

 

   8.越前大野城

「所在地」福井県大野市城町  [築城時期]天正3年(1575)
[築城者]金森長近        [主な城主]土井利房


[お城にまつわる物語など]
越美北線越前、大野駅から徒歩30分。
織田信長の家臣、柴田勝家の越前入りを機に金森長近が新しく亀山に築城したのが大野城、藩政の中心となった。長近が飛騨高山に移り、その後、数多くの城主が替り、土井利房が入城、子孫の末まで在城廃藩、明治に至った。現在の城は昭和43年に復興されたものです。

[
問い合わせ]大野市役所商工観光課:0779-66-1111

 

 

   9.丸岡城

「所在地」福井県坂井郡丸岡町 [築城時期]天正4(1576)
[築城者]柴田勝豊        [主な城主]柴田勝豊


[お城にまつわる物語など]
北陸本線、福井駅から丸岡行きバスで城入口駅下車。
織田信長から領主に命じられた柴田勝家の甥、柴田勝豊が築城、城主となる。その後、勝豊が長浜城に移り、守井家清が替って入った。以降、本多氏、有馬氏らが入城し明治に至った。昭和23年の福井地震によって倒壊したが古材を使用して復興されました。

[
問い合わせ]丸岡町産業観光課:0776-66-3000

 

 

   10.安土城

「所在地」滋賀県蒲生郡安土町  [築城時期]天正4(1576)
[築城者]織田信長         [主な城主]織田信長


[お城にまつわる物語など]
跡地の登り口までJR安土駅から徒歩30分。
尾張の古野城に生れた信長は、勢力を伸ばすとともに清洲城、小牧山城にはいる。斉藤道三を倒して岐阜城の城主に居城、その後、安土に移り、安土城を築城した。安土を選んだのは京に近く政治戦略的にも適していると判断したからで城下町の経営にも地の利があった。日本統一の勢いを天下に見せるには華麗豪華な城が必要でした。楽市楽座は経済の中心となる。その後、本能寺の変で信長が討たれると城は明智光秀が占領、10日後、炎上。現在は山頂に石垣が残り、駅近くに資料館などがある。
[
問い合わせ]安土町観光協会:0748-46-7201

 

 

   11.浜松城

「所在地」静岡県浜松市元城町   [築城時期]元亀6(1578)
[築城者]徳川家康          [主な城主]徳川家康


[お城にまつわる物語など]
東海道新幹線、東海道本線の浜松駅からバスで5分、市役所前駅下車して徒歩約5分。桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を攻め滅ぼしたのち、徳川家康も引間城を攻め落とした。家康は当時居城していた岡崎城を子に与え新しく浜松に築城。のちに家康が駿府城に移った後は数多くの大名が替って入り明治に至った。昭和33年復興されました。
[
問い合わせ]浜松市観光案内:053-452-1634

 

 

   12.掛川城

「所在地」静岡県掛川市掛川     [築城時期]天正18(1580)
[築城者]山内一豊           [主な城主]山内一豊


[お城にまつわる物語など]
東海道新幹線、東海道本線の掛川駅から徒歩10分。
今川義元が朝比奈氏に命じて館を築城、城主となるが後に徳川家康に攻められ奪い取られた。家康は江戸に移り山内一豊が城主となる。一豊は館を大改造、天守を造り城としての体裁を大きく整えた。関が原の戦い後、一豊は土佐に移り、その後は激しく城主が替り明治に至った。廃城されたが、平成6年に天守が復興されて現在になりました。 
[
問い合わせ]掛川市商工観光課:0537-21-1149

 

 

   13.富山城

「所在地」富山県富山市本丸    [築城時期]天正9(1581)
[築城者]佐々成政          [主な城主]前田利次


[お城にまつわる物語など]
北陸本線、富山駅から徒歩約10分。
守護代の家臣が築城、富山藩主12代が続く。城が本格的に整備されたのは天正9年の佐々成政が入城したときの大改造であった。織田信長が光秀に倒され豊臣時代へ、成政は降伏し九州へ移動、前田氏が城主となる。以後、加賀百万石の支藩として明治まで存続。復元天守閣が現存します。


[
問い合わせ]富山市役所観光課:076-431-6111 

 

 

   14.大坂城

「所在地」大阪府大阪市中央区大坂城  [築城時期]天正11(1583)
[築城者]豊臣秀吉           [主な城主]豊臣秀吉、徳川家康


[お城にまつわる物語など]
大阪環状線大坂城公園駅から15分、地下鉄谷町四丁目駅から徒歩15分。
この地に築城を考えていたのは清洲・岐阜・安土と城を持った信長であったが本能寺で倒れたため実現できなかった。しかし、弔い合戦で勝利した秀吉が遺志を継いで築城、地名を「石山」から「大阪」と改名した。
慶長20年、夏の陣で大坂城は落城、豊臣家は滅亡。代わって建てられたのが徳川大坂城である。築城工事は豊臣城の台地上であったが、堀も石垣も以前より巨大化され徳川の権勢を示す壮大な城郭を構築した。その後、落雷のため焼失(1665)したが、昭和6年に秀吉時代の天守を模擬して復興され、文化・観光的にも大阪市の中心となり絶大な人気を誇っている。
[
問い合わせ]城管理事務所:06-6944-0546

 

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   15.和歌山城

「所在地」和歌山県和歌山市一番町 [築城時期]天正13(1585)
[築城者]豊臣秀吉           [主な城主]徳川頼宣


[お城にまつわる物語など]
阪和線、和歌山駅からバス公園前駅で降車。
和歌山城は豊臣秀吉が弟にこの地区を与えた時、自らが築城。弟の秀長は郡山城を本拠としていたため家臣の桑山重春を城代とした。関が原の戦いで戦功した池田氏が入国、城の大改築を実行、秀吉が滅んだ後、徳川頼宣が紀州藩主として入城、大改修を重ねた。そののち紀州徳川藩は世襲して明治に至った。城は太平洋戦争で焼失、昭和33年に復元されました。
[
問い合わせ]和歌山城管理事務所:073-435-1044

 

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   16.岸和田城

「所在地」大阪府岸和田市岸城町 [築城時期]天正15(1587)
[築城者]小出秀政          [主な城主]小出秀政


[お城にまつわる物語など]
南海電鉄、岸和田駅から徒歩10分。
南北朝時代、守護職の楠木正成の一族和田氏が築いた古城があった。この古城に豊臣秀吉の家臣の小出秀政が五層の天守閣を完成させた。その後、松平康重、岡部宣勝がはいり城下の整備、城の大改築が行われた。天守は落雷により焼失、明治に入り破却、昭和29年に模擬天守が再建されました。
[
問い合わせ]岸和田市役所観光課:0724-23-2121

 

 

   17.金沢城

「所在地」石川県金沢市丸の内  [築城時期]天正15(1587)
[築城者]前田利家          [主な城主]前田利家


[お城にまつわる物語など]
北陸本線、金沢駅から東南約2キロ。
織田信長が家臣の佐久間盛政にこの地の寺院、御山御坊を攻め倒し修築
尾山城とした。盛政が戦死後、前田利家が入城、大改築を実施し金沢城と改めた。以降、徳川幕府の大名として100万石を世襲、明治に至った。慶長7年の落雷により焼失し再建されなかった。現在は、石川門を構成する一連の建物が残り、隣接する兼六園は天下の名園として、金沢市内には藩政時の城下町の名残りあるたたずまいになっています。
[
問い合わせ]金沢市観光課:076-220-2194

 

 

   18.広島城

「所在地」広島県広島市中区基町 [築城時期]天正17(1589)
[築城者]毛利輝元          [主な城主]毛利氏、浅野氏


[お城にまつわる物語など]
山陽新幹線、山陽本線の広島駅から西に約1.5キロ。
戦国時代の終わりに、山陽山陰に勢力を伸ばし中国地区を収め大大名に成長した毛利元就。その孫、輝元の時代、山間部の吉田郡山城の本拠を瀬戸内に近い現在の地に移して築城した。関が原の戦いで西軍についた輝元は領地を没収され、替って福島正則が入った。が、幕府に無断で修築を行い除籍。替って入った浅野氏が明治の廃藩まで在城、昭和20年の原爆投下により倒壊した。復元は昭和33年。近くに藩主庭園の縮景園、そして、広島市民球場、平和公園などがあり観光地として有名です。
[
問い合わせ]広島市観光協会:082-247-6738

 

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   19.高松城

「所在地」香川県高松市玉藻町  [築城時期]天正18(1590)
[築城者]生駒親正          [主な城主]生駒親正


[お城にまつわる物語など]
予讃本線、高松駅から徒歩5分。
豊臣秀吉に従えた生駒親正が讃岐の国を治め高松城を築城した。その後、生駒騒動と言われるお家騒動が起こり生駒氏は改易、替って、松平頼重が入城、世襲して明治維新となる。明治17年、老朽化のため天守が取り壊され、現在は着見櫓など城跡が残されています。

[
問い合わせ]香川県観光振興課:087-831-1111

 

 

   20.松本城

「所在地」長野県松本市丸の内    [築城時期]天正18(1590)
[築城者]石川数正、石川康長     [主な城主]石川康長、戸田一族


[お城にまつわる物語など]
篠ノ井線の松本駅から北東に約1.5キロ、徒歩15分。
この地にはかつて、小笠原一族や武田信玄、織田信長が城代となったが、現存の城を築いたのは豊臣秀吉の小田原討伐後の石川数正とその子康長であった。関が原の戦いで康長は徳川軍に属したが改易、代って小笠原秀政が領主となった。以後、戸田、松平、堀田、水野、戸田と代わり、143年間9代の子孫に受け継がれ明治に至った。明治維新時に旧物破壊で解体の危機にあったが民権家の努力でまぬがれ、のち国宝指定となる。昭和2530年の解体修理や昭和54年の整備により現在に至っています。
[
問い合わせ]松本市観光温泉課:0263-34-3000

 

 

   21.会津若松鶴ヶ城

「所在地」福島県会津若松市追手町 [築城時期]天正19(1591)
[築城者]芦名直盛           [主な城主]芦名氏、松平氏


[お城にまつわる物語など]
磐越西線、会津若松駅から南へ約2.5キロ。
源頼朝が奥州平泉を攻めた後、その地を守った芦名氏の7代目直盛が会津盆地に築城し黒川城とした。その後、伊達政宗が攻め勝ち奪った。しかし、豊臣秀吉の小田原討伐後、政宗は秀吉の命により岩出山へ移り、替わって蒲生氏郷が入城し、城を大改築し若松城と改めた。その後も上杉氏、加藤氏と城主が替わり改修がされ、3代将軍家光のとき、異母弟、保科氏が松平を名のり入城、世代を継いで明治に至った。白虎隊や会津戦争など悲劇の舞台となったが落城はなかったが藩は新政府に降伏、明治6年に解体された。現在の城は昭和40年に復元されたものです。 
[
問い合わせ]会津若松市観光課:0242-39-1111

 

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   22.岡崎城

「所在地」愛知県岡崎市康生町   [築城時期]天正19(1591)
[築城者]田中吉政           [主な城主]徳川、松平


[お城にまつわる物語など]
名鉄名古屋本線、岡崎公園前駅から徒歩約5分。岡崎城は三河守護代の館を徳川家康の祖父が攻略居住、祖父が亡くなり今川義元が入城支配した。家康はこの城で生まれ、今川の人質として駿府にいたが、今川が戦死して岡崎に戻る。家康は城代を置き自らは浜松城を経て関東に移る。岡崎城は田中吉政らが継いで明治に至る。城を本格的な城郭にしたのは田中吉政の大改革と整備、明治になり壊され、昭和34年に復興されました。

[
問い合わせ]岡崎市観光協会:0564-23-6216

 

 

   23.伏見城

「所在地」京都府京都市伏見区桃山町大蔵[築城時期]文禄元年(1592)
[築城者]豊臣秀吉               [主な城主]豊臣、徳川


[お城にまつわる物語など]
奈良線、桃山駅から徒歩約15分。
豊臣秀吉が築いた初めの城は大地震により倒壊、新しく桃山の地に再度築城。居城としていた秀吉は伏見城で亡くなり、2年後の関が原の戦いで落城。戦後、家康により修築したが3代将軍家光のとき廃城となる。現在のお城は昭和39年に建てられた模擬天守です。

[
問い合わせ]城管理事務所:075-611-5121

 

 

   24.山形城

「所在地」山形県山形市霞城町   [築城時期]正平11(1356)
[築城者]斯波兼頼           [主な城主]最上義光


[お城にまつわる物語など]

奥羽本線、山形駅から徒歩約10分。
足利幕府よりこの地を任ぜられた斯波兼頼は、地名から最上を名乗り、領土を山形と改め、強力な勢力を持った。小田原討伐では秀吉、関が原の戦いでは徳川方につき大大名となったが、世継ぎなどの内紛により改易された。その後、目まぐるしく城主が替わり幕末に至った。城は明治に取り壊されたが、現在はお堀、復興大手門などが再現されています。

[
問い合わせ]山形市公園緑地課:023-641-1212

 

 

   25.犬山城

「所在地」愛知県犬山市犬山   [築城時期]慶長6(1601)
[築城者]小笠原吉次        [主な城主]


[お城にまつわる物語など]
名鉄犬山線、犬山遊園駅から徒歩約5分。
この地に館を持ったのは織田信長の叔父であったが、関が原の戦い後、徳川家康は犬山に小笠原吉次をおき、吉次が改めて城を築いた。その後、成瀬正成がはいり唐破風などが加えられ現在の犬山城天守に完成、以降、世襲して明治に至りました。木曽川越しの天守の姿は景勝で見事です。
  [
問い合わせ]犬山市観光課:0568-61-1800

 

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   26.大垣城

「所在地」岐阜県大垣市郭町   [築城時期]慶長16(1601)
[築城者]石川康道         [主な城主]戸田氏鉄


[お城にまつわる物語など]
東海道本線、大垣駅から徒歩約10分。
地域の豪族の館を織田信長の父が攻め取り、信長、木下、伊藤らが居住、関が原の戦いでは石田三成が陣取り、合戦の舞台となる。決戦後、石川康道が城主となり城の大改革と城下町の改修整備を実行、以降、城主は替ったが戸田氏鉄が入って明治となった。城は第二次大戦で焼失、昭和34年に復元されました。

[
問い合わせ]大垣市観光協会:0584-81-4111

 

 

   27.熊本城

「所在地」熊本県熊本市本丸   [築城時期]慶長6(1601)
[築城者]加藤清正         [主な城主]加藤清正、細川氏


[お城にまつわる物語など]
鹿児島本線、熊本駅から北東へ約2.5キロ。
豊臣秀吉の九州討伐により佐々木成政がこの地に入ったが治政を誤り、替わって加藤清正が入城、それは、かつての豪族一族が築いた隈本城であった。朝鮮出兵後、秀吉が死去。関が原の戦いで徳川側についた清正は肥後一国の大名となり築城工事を開始7年かけて熊本城を完成した。しかし、徳川幕府は豊臣恩顧の大名を排除する政策から、清正に替わり細川忠利を城主として以降12240年間世襲して明治になった。西南戦争で薩摩西郷軍に攻められ落城はなかったが天守は焼失。昭和35年に天守が復元されました。
[
問い合わせ]熊本市観光情報センター:096-322-5060

 

 

   28.姫路城

「所在地」兵庫県姫路市本町   [築城時期]慶長6(1601)
[築城者]池田輝政         [主な城主]池田氏、本多氏


[お城にまつわる物語など]
山陽新幹線姫路駅北口、山陽本線姫路駅から徒歩で約15分。
別名、白鷺城と呼ばれ最も美しく、丘頂に造られた城は威容を見せている。
安土桃山時代に織田信長から秀吉がこの播磨地区を与えられ、従来からその地にあった姫山城(後の姫路城)に羽柴秀吉の軍が本能寺の変まで在城した。その後、姫山城は関が原の戦いで徳川軍について播磨を貰い受けた池田輝政が大改革工事を約9年かけて実行、城の拡張は更に継続され壮大な城郭が完成した。城主は本多氏、松平氏、榊原氏、酒井氏らが入れ替わり明治に至った。
[
問い合わせ]姫路観光協会:0792-21-2512

 

 

   29.高知城

「所在地」高知県高知市丸の内  [築城時期]慶長6(1601)
[築城者]山内一豊          [主な城主]山内一豊


[お城にまつわる物語など]
土讃線、高知駅から約1.5キロ。
豊臣秀吉は四国討伐によりこの地を支配化、関が原の戦いの戦功により土佐の領主となった山内一豊は築城工事を開始、約10年かけて完成した。一豊の妻、千代の内助の功は出費が大きかったこの時期の話しである。
享保12年に城下からの大火事によりほとんどを焼失、8代目の山内豊数が整備再建にかかり、現在残る天守はこの時ものである。城主は世襲して明治になりました。
[
問い合わせ]高知市観光課:088-822-8111

 

     30.仙台城

「所在地」宮城県仙台市青葉区川内 [築城時期]慶長7(1602)
[築城者]伊達政宗           [主な城主]伊達政宗


[お城にまつわる物語など]
東北本線、仙台駅からバスで約20分。
戦国時代、伊達政宗は奥羽が領土、豊臣秀吉の小田原討伐と関が原

の戦いで勢力を伸ばし従来の岩出山から青葉山に新しく築城。地名を

仙台と改名、その後も伊達が世襲して明治に至った。二の丸建造物

は明治15年に焼失、大手櫓は昭和20年に空襲で焼失した。 現代では

〝青葉城恋歌〟に唄われ親しまれています。


[
問い合わせ]仙台市観光案内所:022-222-4069

 

 

   31.福岡城

「所在地」福岡県福岡市中央区城内 [築城時期]慶長6年(1601)
[築城者]黒田長政           [主な城主]黒田長政


[お城にまつわる物語など]
鹿児島本線、博多駅からバス、大手門駅で降車。徒歩5分。
福岡城を築いたのは黒田如水と長政の親子である。関が原の戦いで功績をあげて名島城に入ったが、地の利を考え新しく今の地を選び築城した。歴史上有名な黒田騒動もあったが改易はされなかった。明治以降、建物は取り壊されたが、昭和31年、50年に櫓や大手門などが復元されました。

[
問い合わせ]福岡市観光課:092-711-4111

 

 

   32.小倉城

「所在地」福岡県北九州市小倉北区城内 [築城時期]慶長7年(1602)
[築城者]細川忠興              [主な城主]細川忠興


[お城にまつわる物語など]
鹿児島本線、小倉駅から徒歩約15分。
この地の豪族が築城、城主に入れ替わりはあったが豊臣秀吉の九州討伐で城は毛利勝信に与えられた。しかし、関が原の戦いで西軍に属したため細川忠興が城主となる。細川氏は小倉城を大改築して大名の居城に相応しいお城の規模にした。細川氏は熊本に移って小笠原忠真が入城、以降、世襲して明治に至った。慶応2年焼失、昭和34年に復興されました。
[
問い合わせ]城管理事務所:093-561-1210

 

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   33.駿府城

「所在地」静岡県静岡市追手町   [築城時期]慶長12(1607)
[築城者]徳川家康            [主な城主]徳川家康


[お城にまつわる物語など]
東海道本線、静岡駅から徒歩約10分。
今川一族が居住した館がこのお城の前身。今川義元は織田信長の桶狭間の戦いで敗れた後、武田信玄に追われ駿府は武田の領地になった。その後、徳川家康が武田を追放、新しく駿府に築城、隠居城とした。家康が亡くなり城は幕府直轄になって明治へ、焼失、破却。現在は堀や櫓が整備され公園になっています。
[
問い合わせ]静岡市観光協会:054-251-5880

 

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   34.松江城

「所在地」島根県松江市殿町   [築城時期]慶長12(1607)
[築城者]堀尾吉晴         [主な城主]堀尾氏、松平氏


[お城にまつわる物語など]
山陰本線、松江駅の北西約1.5キロ。
関が原の戦いに戦功した堀尾吉晴は当初出雲の富田山城に入ったが、

山奥の地で不便を感じて今の地に新しく築城した。堀尾一族は3代世襲

後、断絶。替わって、徳川家康の孫、直政が城主となり、 その後、世襲

して10代続き明治に至った。松江市内には、城下町武家屋敷が残り現

在も保存、その中には松江を愛した小泉八雲の旧宅と記念館があります。
[
問い合わせ]城管理事務所:0852-21-4030

 

 35.唐津城

「所在地」佐賀県唐津市東城内  [築城時期]慶長13(1608)
[築城者]寺沢広高          [主な城主]寺沢広高


[お城にまつわる物語など]
唐津線、唐津駅から市内バス、唐津城入り口駅降車。
玄界灘を中心に勢力を張った水軍の基地があり、その一族の党首が朝

鮮出兵の不具合から豊臣秀吉に改易された。替って、寺沢広高が入封し

浦島山に築城工事を起した。関が原の戦いでは徳川軍に加勢し城は

更に改築され完成。しかし、天草の乱の不手際で没収、自刃、断絶。

その後、大久保、松平、土井、水野氏と替り、小笠原長昌が入ってから

以降、世襲して明治に至った。廃城後、取り壊さ、昭和41年に模擬天守

が造られました。

問い合わせ]唐津市観光協会:0955-74-3355

 

  36.岩国城

「所在地」山口県岩国市横山 [築城時期]慶長13(1608)
[築城者]吉川広家       [主な城主]吉川広家


[お城にまつわる物語など]
山陽本線、岩国駅からバスにて錦帯橋行き。約10分。
関が原の戦い後、この地を毛利輝元から与えられた吉川広家が築城、居城とした。のち、一国一城令により破却され、現在の天守閣は昭和37年に建築されたものです。町中からの見映えを考慮して本来の位置よりやや南寄りに建てられたと言います。現在の博物館などの城跡にはロープウェイがあり、大手門に相当した錦帯橋は観光地として人気があります。

[
問い合わせ]岩国市観光課:0827-41-1477

 

  37.名古屋城

「所在地」愛知県名古屋市中区本丸 [築城時期]慶長15(1610)
[築城者]徳川家康           [主な城主]徳川家康


[お城にまつわる物語など]
東海道本線、名古屋駅からバス名古屋城正門前駅で降車。
関が原の戦い後、この地を治めたのは徳川家康で近くに清洲城があった

が狭くて水攻めに弱い地形と判断して新しく築城工事をはじめた。これは

当時、大坂城に豊臣秀吉が健在でこれらに対する備えの意味もあった。

天守の金の鯱には慶長大判1940枚が用いられたと言う。こうして尾張徳

川は世襲して明治に至るが、昭和20年米軍の爆撃で焼失、昭和33年に

復元。大判の鯱の金は今なら56億円で、復興時の鯱はメッキ仕上げ

ではあるがそれでも当時の金額で4500万円の製作費用がかかりました。
[
問い合わせ]名古屋市観光推進室:052-972-2425

 

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  38.弘前城

「所在地」青森県弘前市下白銀町 [築城時期]慶長16(1611)
[築城者]津軽信牧          [主な城主]津軽信牧


[お城にまつわる物語など]
奥羽本線、弘前駅よりバス約15分弘前公園入口駅降車。
津軽地方を統一した津軽一族が築城工事にかかった。親が亡くなると家督

を受け継いだ津軽信牧が工事を続行し完成。しかし、創築16年後の落雷に

より焼失、現在、残っている天守は文化(江戸時代)7年に再建されたものです。

それ以降、津軽家が世襲して明治に至る、城も本丸御殿や二、三の建物は

撤去されたが、その他は残り、城跡は公園で祭りの舞台となり今では東北の

旅の観光名所となっています。

[
問い合わせ]弘前市観光案内所:0172-32-0524

 

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  39.伊賀上野城

「所在地」三重県上野市丸の内  [築城時期]慶長17(1612)
[築城者]藤堂高虎          [主な城主]藤堂高虎

[お城にまつわる物語など]
近鉄伊賀線、上野市駅から徒歩約5分。
織田軍が激戦のうえこの地を支配、家臣が館を築く。豊臣軍の手により改築、関が原の戦い後、改易。伊予から津にはいった藤堂高虎は、大阪城で健在だった秀吉に対する押さえとして城を大修築した。完成間際に台風襲来で倒壊、その間、大阪の冬・夏の陣が終了し再建はされなかった。現在の模擬天守は昭和10年に復元、公園、忍者屋敷などの建物があります。

[
問い合わせ]三重県観光連盟:0592-24-5904

 

 

  40.福山城

「所在地」広島県福山市之内 [築城時期]元和6(1620)
[築城者]水野勝成       [主な城主]水野勝成、松平忠雅


[お城にまつわる物語など]
山陽本線、福山駅降車、駅前北側
徳川家康の母方の従兄弟であった水野勝成は家康の家臣に、関が原の

戦いや大阪の陣での戦功のあった猛将である。勝成がこの地に入った時、

他の城があったが山間で交通が不便なため現在の地に新しく築城。水野

が5代で途絶えた後、松平忠雅が入城、その後、阿部正邦が入り世襲して

明治に至った。昭和20年に戦災で焼失し、昭和41年に復興されました。

[
問い合わせ]福山観光案内所:0849-22-2869

 

  41.上田城

「所在地」長野県上田市上田二の丸 [築城時期]元和8(1622)
[築城者]真田昌幸            [主な城主]真田昌幸


[お城にまつわる物語など]
長野新幹線、上田駅から徒歩約15分。
武田信玄から土地を与えられた小豪族の真田幸隆の子、真田昌幸(幸村の父)がこの地に上田城を築いた。領地をめぐって徳川家康と敵対し攻撃を受けるが、迎え撃ち大打撃を与え真田の武名と上田城の名城ぶりを知らしめた。関が原の戦いで西軍について破却、領地は徳川軍についた真田信之が受け修築した。その後、藤井忠周が入り世襲して明治に至る。

櫓は売買による移築も元の場所に現存する。天守は元々造られず、城門は平成6年に復元されたものです。

[
問い合わせ]上田市商工観光部:0268-22-4100

 

 

   42.彦根城

「所在地」滋賀県彦根市金亀町  [築城時期]元和8(1622)
[築城者]井伊直勝          [主な城主]井伊直弼(13代目)


[お城にまつわる物語など]
東海道本線、彦根駅から徒歩約15分。
関が原の戦いの功により徳川家康から石田三成のいた城に入った井伊直政は、山が高くて不便だったため琵琶湖畔に築こうとしたが病のため亡くなり、子の直勝が受け継いで完成させた。大阪の豊臣秀吉に対する備えもあり家康の援助を受けた。築城から廃藩置県まで井伊一族が14代領主となり、天主も櫓も現存し今に美しさを伝えております。
[
問い合わせ]観光案内所:0749-22-2954

 

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   43.島原城

「所在地」長崎県島原市城内  [築城時期]寛永2(1625)
[築城者]松倉重政        [主な城主]松倉重政


[お城にまつわる物語など]
島原鉄道、島原駅から徒歩約5分。
この地、肥前島原に入った松倉重政は7年かけて島原城を築城。領民に重税を課し、キリシタン取り締まりを過激に実行、結果、島原の乱が起きた。天草四郎は百姓一揆の加勢で城を襲い奪うが勢力は徐々に沈静し収まる。松倉重政は責任をとり切腹、断絶。その後、城主は入れ替わり深溝氏が入って以降世襲して明治に至る。城は普賢岳の噴火と有明湾の津波で破壊、修築もされたが明治に破却、昭和39年に復元されました。

[
問い合わせ]島原市商工観光課:0957-63-1111

 

 

   44.赤穂城

「所在地」兵庫県赤穂市上仮屋    [築城時期]寛永元年(1661)
[築城者]浅野長直            [主な城主]浅野長直


[お城にまつわる物語など]
赤穂線、播磨赤穂駅から徒歩15分。
関が原の戦いで宇田氏が滅び、池田輝政の領地となる。その後、浅野長直が入り築城工事を起した。天守閣は造らなかった。元禄14年の江戸城松の廊下の刀傷事件により浅野家断絶、永井、森氏が入り明治維新となる。
昭和60年の整備事業で修築、平成8年には本丸門が復元されました。

[
問い合わせ]赤穂観光案内:0791-42-2602

 

 

   45.小田原城

「所在地」神奈川県小田原市城内 [築城時期]延宝3(1675)
[築城者]北条早雲          [主な城主]北条早雲

[お城にまつわる物語など]
東海道線、小田原駅から徒歩約10分。
鎌倉時代の豪族が築いた館が小田原城の前身。その後、伊豆の北条早雲が城主に入る。上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐えたが、時の人・豊臣秀吉にも君臨せずして豊臣大軍に攻められ滅亡。小田原討伐後、徳川家康がこの地に入り、大久保、稲葉氏などが続く、天守は幾度かの大地震で崩壊したが都度修築され明治維新になる。城は昭和35年に復元されました。
[
問い合わせ]小田原市観光協会:0465-22-5002

 

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